2009年5月20日水曜日

カッコウ

今年初めてカッコウの声を聞きました。
先日まで聞こえていたヒバリはいつの間にかいなくなりこれからしばらくはカッコウに起こされる日が続きます。
でも今日の声はかなり遠くの方でした。わたしを起こしに来たのでは無さそうです。
毎年同じカッコウが来るのかどうか知りませんが我が家のアンテナの上で「起きろ、起きろ」とひとしきり泣いて何処かへ消えます。それが何日か続いていつの間にかいなくなります。
いつアンテナの上に来るか楽しみです。
数年前カラスに追い回されて来なくなった時があったのですが毎年カラスが多くなっているのが気がかりです。

2009年5月18日月曜日

まわし飲み

まわし飲みというのは今さら説明の必要はないと思いますが、酒の席などでひとつの杯を次の人にわたし酒を飲むものです。最近はジュースなど飲料水などをまわし飲みしてるのを見かけます。
どんな人がやってるか・意外に若い人が多いようです。特に飲料水の場合。

何故コレを今取り上げたかと云うと、それは「新型ウイルスの感染の広がり」のnewsを見たからです。
その中で高校生が「部活中にまわし飲みをした」と発言していたのです。
大人の世界では最近 まわし飲み をそんなに頻繁に見かけません。
家庭内ではどうでしょう。お母さんが小さな子供の残り物を食べることはあっても、これまた頻繁に見かけるモノではないと思います。

ところが最近の高校生は(わたしの家の近くの高校生)学校からの帰り道ペットボトルを頻繁にまわし飲みしています。それも4~5人でぐるぐる回して飲んでいます。いくつものグループがやってますから誰かが感染すればあっという間にみんな感染するでしょう。
飲み終わったボトルを道端に捨てていく行儀の悪い輩もいるのが困ります。
この行儀の悪さは別にして まわし飲み を頻繁に見かけることが高校生の間で新型ウイルスの大量感染に繋がったのではないでしょうか?
ここ数日の間に爆発的に感染者が発生するように思われます。
コレが杞憂で終わればよいのですが!
マスク着用、ウガイ、手洗い、の励行にもう一つ「まわし飲み」禁止を入れなければならないと思います。
まわし飲みは危険です。

2009年5月15日金曜日

サイン帳

荷物を整理していたら古いサイン帳が出てきました。
芸能人のモノではなく、中学卒業の時にサイン交換をしたモノです。名前だけでなくメッセージを交換したのです。
「こんなモノが流行ったんだなあ」と、昔を思い出しながらパラパラめくる。
おっ!あいつがこんな偉そうなこと云ってる!
あの子!いまどうしてるかなあ!
すぐに思い出す、出来れば会ってみたい。
手紙欲しいと書いてある。チャント住所も書いてある。でも、手紙書いた記憶はない。中学校の友達だから家も知っている。不思議と覚えている。その家は既に昔の面影はなくそこに住んでるはずはない。どうして手紙書かなかったんだ!

ところが全く記憶にない名前もたくさんあるのです。いくら考えても全く記憶の外に消えてしまった友もいるのです。あの人どうしてるかなと思いを巡らす人の名前がなかったり。記憶というモノは不思議なモノです。それにしてもみんな綺麗な文字を書いている。私の文字は今みても恥ずかしい。この恥ずかしい文字のせいで手紙を書けなかったのだろうか?

ワープロやコンピュウタのお陰で悪筆を曝すことが少なくなり恥をさらすことも少なくなったと思いきや、今度は漢字が書けません。こまったことです。
手紙を欲しいと書いてくれたRさん、手紙あげなくてごめん!コレに気がついたら手紙下さい。

2009年5月7日木曜日

Akiba recipe アキバレシピ


連休休みに秋葉原へ行ってきました。
そう言えばチョットご無沙汰だったかも知れません。
パラパラ小雨の秋葉原、相変わらずの人の波。
若いオネエサンやガイジンサンが急激に多くなってるのにはビックリします。
中には旗持ったガイドに付き添われたガイジンサンも芋虫のように歩いています。
昔、秋葉原と云えばヤッチャバ(青果市場)では威勢の良いお兄さんが大声で走り回り一方の電気街は電機製品の卸屋さんが建並びその隙間にラジオやテレビ、無線関係の部品屋さんがひしめいていました。さらにその隙間の隙間にジャンク屋と呼ばれる電機部品の古物商が挟まっていたのです。

気がつけば
秋葉原はパチンコ屋やゲームセンタができ、フィギヤが並びメイド姿の客引きがいたり、一大歓楽街になってしまいました。
時代の流れと云ってしまうには釈然としない私はそろそろ嫌われ者になってしまうのでしょうか。
そんな秋葉原の一角、昔なじみのパーツ屋さんの店先で一葉の冊子を見つけました。
その名も「秋葉原」。
私はどうもアキバという呼び方が気に入りません。アキハバラではなく秋葉神社の名を頂くアキバハラが正しいという意見もあります。JRが国鉄時代に間違ったという人もいます。
それはともかく、「秋葉原」当然その読みは私の好きなアキハバラ。その冊子に中学生時代から色々教えて貰ったオヤジさんの写真が載っていました。老舗と紹介されてますが私にとっては秋葉原のヌシのようなオヤジさんです。
この一角だけが中学生時代のままの姿で残っているのです。
*中学生時代には木造でその後5階建て?のビルになりました。
改築されても売り場のスタイルが昔と同じなのです。秋葉原は元気だ!
そう想いを込めてパラパラめくる最後に見えたモノは Akiba Recipe の文字。
時代は変わったんだ!

*Akiba recipe3電子機器から写真引用。1~5まで5のカテゴリの冊子を店頭で貰うことができます。

2009年5月3日日曜日

水道管

給湯器が壊れてしまいました。
今まで全く故障が無く快適だったのですが14年目に入り、遂に来るべきモノが来たという感じです。
修理見積りを取ったのですが非常に高い。
故障してないと思ったのは間違い。長期の漏水があったようで広範囲に腐蝕が見え素人目にも高い修理代を掛けるのはどうかと思い交換することになりました。
同じメーカの新機種と云うことで持ち込まれた機材は外観は同じでも配管位置がずいぶん変更され思った以上に大変な工事です。
配管の変更で気がついたことは配管素材が全く違っていることです。
私が子供の頃は水道管と云えば鉛管、それがなかなか高価で鉄管を使ったコトもあります。
その後塩ビ管。
塩ビ管はネズミ色が標準?給湯用には茶色の塩ビ管でした。
工事に来た人の話では茶色の塩ビ管は耐久性が悪くあまり使わないとのこと。ネズミ色の塩ビ管も耐久性の良い黒い(紺色)のモノを使うことが多いようです。
我が家の給湯配管は銅管でした。
銅管は素材としては優れてるようですが作業性が悪いので今はほとんど使われないと云うことです。
今は何?
ポリエチレン管です。給湯器の接続部もネジ留めではなくOリングの付いたプラグをはめ込むだけです。
我が家の場合、銅管とポリエチレン管との変換を付けての接続です。
鉛管→鉄管→塩ビ管→銅管→ポリエチレン管と変わってきたようです。実際にはステンレス管も使われているようです。
現場の接着(塩ビ管)、ロー付け、が一番事故が多いと云うことです。その為か接続は専用コネクタを使うことが多くなったようです。
久々に勉強しました。