2010年12月21日火曜日

耳の検査

最近体の右と左のバランスが狂ってるらしい。
髪の毛の色や量が左右で違う。
視力もアンバランス。
でも気にするほどではないし何の不調もない。
あまり気にしてなかったのですが、10月の始め頃、幕張メッセのショーを見に行ったときです。
どこかのブースでヘッドホンの音域を実感する実演をしてました。
やらなきゃ良いのにヘッドホンを耳に当ててみました。
おや! 聞こえがおかしいのです。
右は10kHz以上まで聞こえたのですが左は10kHzがまったく聞こえません。
歳のせいか? 案内係りの若者も「そういう人多いんですよ」と年寄り扱いする。
そして先月、毎年やってる健康診断でお決まりの聴力検査。
な、なんと、左は4kHzもやっと聞き取れるほど聴力が落ちているんです。
かすかでも聞こえたので、ごまかした感じで一応OKとなりましたが気になります。
体の半分が壊れてるか?
家では少し耳が悪くなったかと云っては見たが特に困ることはない。
ヘッドホンをつけて音楽を聴いても違和感はない。
ふと!気が付きました。
自前のオーディオ発振器があるじゃないですか。
コレで検査すればよいのです。
正式にはどのくらいのレベルを入れるのかは解りませんが、右と左別々に信号入れて聴いてみました。
聴力検査の周波数は1kHzと4kHz。正常と思われる右が聞こえるレベルで左も聞いてみました。
レベルを下げてどこで聞こえなくなるか蚊の鳴くほどに下げても両耳ともちゃんと聞こえます。
一般的な聴力検査ではそんなに小さいレベルは検査しません。(精密検査のときは別でしょう)
2ヶ月前は何で聞こえなかったのか?自然に治ったのか?
どこかに隠れた病気があるのか。
総合的にはメタボ気味、LDLコレステロール値が少し高い。
左右のアンバランスは『良くあることです』と云う評定を信じることにしましょう。

2010年12月20日月曜日

さびしい話

T-zoneが廃業になりました。
T-zoneといえばアマチュア無線家にとって馴染み深いジャンク屋“ トヨムラ ”を思い出さずにはいられない。
私がアマチュア無線を始めたころは、無線局開局にジャンク屋なくしては考えられない時代。
秋葉原の青果市場の前でジャンク屋としては品揃えも豊富で大きな店を構えていました。
米軍払い下げの無線機は、時のアマチュア無線ブームで私には高嶺の花。どれを見ても買える値段ではありません。
私が買うものは部品取り用に解体された細かい部品。それはそれで、普通のラジオやでは売ってない貴重品でした。
ダンボールの箱に無造作に放り込まれた中からこれはと云う逸品を見つけ出す。
楽しくもあり、侘しくもあった部品探し。
トヨムラは忘れることの出来ないお店であったのです。
その後、経営母体は度々変わりながら電子機器のキット販売や半導体部品の店に転進したりマイコンと呼ばれるパソコンの魁としての部品販売などを手がけたのですが。
そのトヨムラも時代の流れに翻弄されながら、創業者 豊村 の『 T 』 “T-zone”の名前を冠しコンピュータのDIYショップとして生き残るかに見えたのですが、2010年11月末に終焉を迎えたようです。

最近のDOS/V通り(中央通の西裏通り・T-zoneがあったところ)もなんとなくひところの賑わいがない。
組み立てPC(DIY・PC)の人気にもかげりが見られます。
世界に名だたる電気街秋葉原の先行きが気になるのは私だけだろうか。
最近は秋葉原の冠称に“オタクの聖地”とか“アニメの聖地”とかいやな響きが聞こえます。
ゲームセンタやパチンコ屋がふえてまるで歓楽街のようになってきたのです。
電子技術に興味を持ち始めた小学生や中学生が歩くには不向きな町になってきました。
少々落ちぶれ始めた電子立国日本も立ち直れないのか?
いまだ世界一と思ってる人が多いのも困ったこと!
今週は秋葉原へ行ってみよう。

なお、アマチュア無線機器販売会社(株)トヨムラは営業しております。

2010年12月18日土曜日

乾電池

私にとって乾電池との出会いは戦後間もない小学校に行く前だったと思う。
なんとなく記憶にあるのは独楽を廻すと赤や青に光ったような記憶があるのです。
LEDの付いたオモチャではありませんよ、豆ランプです。
電池はすぐに使えなくなるもの。金属のケース・当時は亜鉛?が白く腐食して穴が開き液漏れを起こす。
電池のパワーは次第に大きくなってきたのですがこの液漏れは解決されません。
小学生のころの電池は亜鉛のケースに紙が巻いてあった。
マイナス極であるケースは化学反応で腐食してくる。やがて穴が開き寿命を迎える。
穴が開く前に寿命を迎えたのかもしれない。
ピッチで封止されたプラス極の近くに穴を開け塩水を入れる。電池は復活ししばらく使える。
危ないとか危険とかは二の次。
こんなことをどこで覚えたのかは解らない。周りのガキどもはみんな知ってたように思います。
電池=乾電池の時代です。もちろん鉛バッテリはありました。

中学生か高校生になったころ。漏れない乾電池と云うのがあった。
金属・鉄のケースで包んだ電池だ。見掛けは最近のものに似ている。
万一漏れたら交換すると書かれていたものがあった。これも漏れたような気がする。
でも、交換してもらった記憶はないし、その表記はいつの間にか見かけなくなった。
漏れないと思って売り出したが漏れるので大慌てにその文字を消したのだろう。
それでも、漏れにくくなったのは間違いない。

いつの頃からかアルカリ電池が主流になってきました。
ケースをステンレスにして外側をプラス電極にした。
これで、『腐食による液漏れはありません』と大見得を切ったのですがやっぱり漏れる。
悪いことに、アルカリ電池は漏れた液がプラスティックも腐食する。
たまにしか電池交換しない時計なんかは液漏れしながら動いていることがある。
やがて時計が止まると、電池もケースもボロボロ、時計ユニットも使えなくなってしまいます。
そのためか?ほとんどの時計にはマンガン電池を使うように書いてあります。
あまり使われなくなったアナログテスタもマンガン電池を指定しています。
高級品はマンガン電池を使ったほうが良いのか???
確かにマンガン電池は漏れにくい。
アルカリ電池も大きいものは漏れにくい。

乾電池の液漏れはメーカにとって永遠の命題なのか。
使い方で液漏れを避けることは出来ないか?
私の使用感では、
アルカリ乾電池よりマンガン乾電池が漏れにくい。
単1、単2は漏れにくい。
有名品は漏れにくい。チョット贔屓目かもしれない。
粗悪品もあるという事です。
006pは漏れにくい。ケース内部空間が広いのかもしれない?
LR44も漏れにくい。中身が少ないのか?
危ないのは単3だ。よく漏れる。
単3はマンガンを買うべし。ただしパワー不足でで機器によっては使えないことがある。
電池は使うときだけ装着する。こんなことは出来ないなあ~
せめて、ダメになるまで使わない。弱ってきたら交換する。
弱った電池は壊れても惜しくない機器に使用すればよいかも!!

ついでに、充電できるニッケル水素電池も粗悪品は漏れる。
アルカリ系なので機器にダメージを与えることも多い。
やはり乾電池の液漏れは永遠の命題なんだ。

これはあくまでも私の感想で客観的なデータにもとずくモノではありません。



2010年12月6日月曜日

消えた100円ラジオ

いま、BCバンド用のマーカオシレータを作っています。
それにはトランジスタやバリコン、コイルなどが必要です。
秋葉原に行けばすぐに間に合う部品ですが行くのに交通費その他で2000円。時間も掛かります。
閃いたのが100円ラジオ。1台買えば必要で充分な材料が手に入ります。
というわけで近所のD・・へ。
ついでにオルゴールも買えば変調用信号にもなる、とルンルン気分で出かけたのですが・・・
店内どこにもそれらしいモノはありません。この店は扱ってないのか?
別の大型D・・へ。ここにもありません。
100円ラジオはとうとう見つかりませんでした。
netを見るとやはり最近消滅したようです。
100円ラジオが売り出されたときもかなり衝撃でした。
無くなったのはもっと衝撃です。

いつでも手に入ると思ってたものが無くなると急にほしくなります。
使い捨ての傘で骨がプラスティックのものがあるらしい。
確かにnetには出ています。
でも、見かけたことがありません。どこで売ってるんでしょう。
傘ねたをもう一つ。
大きな傘がほしい。骨はプラスティックが良いけど金属でも我慢します。
あったんです。新大久保のゴミ集積所に。
ゴルフの傘で頃合のが。でも一日中持って歩くのが気になったので拾うのやめてしまいました。
我が家では3月ほど前、古い傘みんな処分したばかりなのに拾って帰ったら何といわれるか?
その心配のほうが大きかったかもしれません。

古い傘何するの? ラジオのアンテナにしようと思うのです!!!
あほか! と云う声が聞こえたような・・・

2010年12月3日金曜日

芝ざくら

今日、明け方から激しい雨が降りました。激しかったのは30分ほどで時間的にはそれほど長くはありませんでしたがBSのTVが見えなくなるほどで50mmを超える降りだったと思います。
雨が上がると落ち葉がいっぱい。
水に洗われとても綺麗でした。
そして落ち葉の間からはもうミドリの葉っぱが現れています。五月ころ?花をつける芝ざくらです。これから本格的な冬が来るのに大丈夫か心配になります。何事もなく綺麗な花が咲くことを願って・・・

ぬれおちば かきわけめをだし きがつけば
ちとはやすぎた ふゆはこれからか

濡れ落ち葉 掻き分け芽を出し 気が付けば
一寸早すぎた 冬はこれからか

12月になったというのに昼前には20℃にせまる暖かさ。
落ち葉を掻き分け芽を出したのではなく、いたずらな大雨が、まだ眠い若葉を起こしてしまったのだろうか。
明日は寒くなるらしい。

2010年12月2日木曜日

ポリバリコン


最近はエアバリコンをほとんど見かけません。
ポリバリコンは比較的入手可能と思っていました。実際に秋葉原ではいろんな種類を買うことが出来ます。
実はいま、BCバンドの発振器・テストオシレータもどきを作ろうと思いまして以前に入手しておいたポリバリコンを使って試作を始めました。
BCバンドですから530~1650kHzくらいの守備範囲を予定したのですがどうしても広域がはみ出します。使ったのは最大容量180pFのものです。
Lが多すぎたかとコイルを少しほどいてみました。案の定今度は低域がはみ出します。ブレッドボードに組んだ試作で回路のストレー容量はそれほど多くはないはずですが展開巾が狭いのです。
仕方がないので最大容量260pFのものに交換しました。そして低域をちょうど良いところに合わせたら広域はなんと1900kHz付近まで行くではありませんか。
バリコンが怪しい!と気が付いて容量を測定してみました260~4pF・これは優秀です。
方や最初に実験したのは180~12pF・最小容量が大きすぎます。ついでにいろいろ調べてみましたら最小容量は3~12pFくらいでまちまちです。
お店では普通最大容量しか表示していません。これも10%くらいの誤差はありますが最小容量が大きいのは困ります。
昔のラジオの本にも「最小容量の大きい粗悪品に注意」の文字があったように記憶していますがそんなことはすっかり忘れていました。
数年前、電解コンデンサの粗悪品が話題になりましたけれどポリバリコンも危ない商品だと改めて気がつきました。

2010年11月15日月曜日

40万HIT

いま、ホームページへの来訪者が40万HITを超えようとしています。
このブログではなく本編の 「cvfの工作教室」です。
2000年の3月にスタートして丸10年余。11年に近いのですが何とか続けることが出来ました。
紆余曲折を繰り返しながらも挫折することなく40万の数字を得ることが出来ました。
この数字は決して正しいものでないことは皆さんもご存知と思います。
表紙に組み込まれたカウンターが一回アクセスがあるたびに一つずつ上がるので時によって同じ人が何回もカウンタをあげたり、また私自身が見てもカウンタが上がります。
そんな訳で正味何人といわれればだいぶ少ないのでしょう。
それでも、私にとって10年の歳月と40万の数字は重いものです。
皆さんありがとうございます。

ところで、このタイトル 「cvfの工作教室」 ですが稀に誤解されるようです。
カッコいい名前をつけよう! という気負いもあってつけた名前ですがどうも気負いすぎだったのかもしれません。
どうも・・・教室という名前が誤解の元だったように思います。
たまに、いつやってるのですか? 場所はどこですか? 何人くらいでやるのですか?こんな質問があります。
どうも、工作を教えてる “教室” と勘違いされてるようです。
内容を見ればすぐわかると思っていたのですがそうでもないのです。

でも“工作教室”なら生徒はいるんじゃないの?
生徒はいます、私がタダ一人の生徒なんです。
それじゃあ、先生は?
先生はたくさんいます。何人いるか数えたことはありません。
私のホームページにご訪問いただきコメントをいただいた方は皆さん先生なのです。
お叱りいただいたり、提言いただいたり、いろいろなご意見いただいております。
工作教室以前にアマチュア無線を始めたころから先生がたくさん居ります。
学校の先生は別として、お医者さん、お坊さん、レストランのオーナさん、建築家さん、電気屋さん、大工さん、水道屋さん、その他職人さん、ガソリン屋さん、写真屋さん、作家さん、漫画家さん、長唄の師匠さん、落語家さん、などなど数えられません。
これらの方たちに仕事から離れ本音をもらし、教えていただいたことは私の工作だけでなく人生の糧にもなっています。
お陰さまで少しはまともな工作が出来るようになったか・・・まだまだのようです。
卒業し「免許皆伝」の巻物はいつになるか・・・まったく先が見えません。
「cvfの工作教室」はこれからも、まだまだ多くの先生を求めています。

わたしは、何でもかんでも手を出し首を突っ込み闇雲に始めてしまう。困った性格です。
それでも最近チョットだけ感じること。
所詮、趣味の道楽。
アイディアが第一。
あれがない、これがない、と云わずに在る物で何とか間に合わせ工夫しデッチ上げる。
たまには、プロはやらないとんでもない事をやる。そこに味がある・・・ホントか?
プロはその技に縦割りですが趣味の世界は横割りでも斜め割りでもクシを刺して楽しんでしまう。
終わりのない道楽の道まだまだ続きます。

2010年11月8日月曜日

トランシーバの照明ランプ交換

いつも使ってるトランシーバの照明ランプが切れてしまい表示が見えなくなってしまいました。
ムギ球と呼ばれる小さな豆ランプです。化粧パネルをはずします。

これが液晶パネルでこの裏側にムギ球が組み込まれています。
6個のムギ球が使われていましたが今回は4個だけ交換します。
LEDを使えば切れない・今回はLEDに交換します。
飛び出しているリード線はランプの動作電圧をチェックするための仮配線です。チェックがすめば取り外します。

表示パネルの下はこのようになっています。これには手を触れません。



ターゲットはこの基板。基板の右端に不細工な抵抗がつきました。LEDの電流制限用です。チップ型のLEDは手持ちがあったのですが抵抗はこんな大きいものしかありませんでした。
4箇所このように不細工な改造です。

これを逆の手順で組み立て完成です。
オリジナルでは黄色の照明(電球色)でしたが今度はグリーンになりました。


このトランシーバもこれでまたしばらく使えるでしょう。
こういう作業は疲れます!

2010年11月7日日曜日

トルコ旅行の続き。

トルコ旅行の続きです。
海に近い町には魚屋さんがたくさんありました。
魚はきれいに並べられ、高級魚?はそれなりに見栄えがするように並べられています。
しかし、貝類はご覧のとおり。大小込みでその種類も込みです。
地中海ならムール貝がと思いましたが・・・
意外に少なくスペインやイタリアのようなバケツに「これでもか」と云うほどの大盛は見かけませんでした。季節が悪かったのか良くわかりません。
レストランでもお印のようにチョットだけ出たところはありましたがほとんど見かけませんでした。

トルコの海岸市場では焼き鯖サンドが名物です。この味は絶品です。
実は私、この焼き鯖を焼いてきました。
「おい、お前こっちへこいや!」と呼ばれた感じ。トルコ語はまったくわかりません。
呼ばれるままに通りに面した魚焼き台に近寄ると「お前やってみろ」
焼き鯖を焼いてきました。
急に云われてギゴチない姿で焼いて見ました。
網焼きではなく、鉄板焼き。塩コショーで結構こんがり焼いてサラダとともにパンに挟んで出来上がり。
残念ながら、ハチマキ姿のこの写真を撮ってくれた人はありませんでした。
日本人好みの焼き鯖サンド、お勧めです。

2010年10月29日金曜日

古本市とスカイツリー

今日、所用があって九段まで行きました。
靖国通りの九段坂は昔、九つの坂の連続だったと聞きますが今は大きな一つの坂道です。
ここまで来たのだから秋葉原へ行ってみよう。
地下鉄で、ふたつか三つの距離ですが今日は何となく歩いてみたい衝動に駆られポツポツ歩き始めます。
坂道を下った辺りには昔お世話になったD社の古い建物があったはず。
それもいつの間にか取り壊され新しいビルになったようです。何処だったか特定できません。
神保町に近づくと急に人通りが多くなりました。
道路に人があふれています。人だけでなく大きな本棚まであふれています。
本屋さんの町で偶然にも古本市が開催中。
もう絶版の「水晶振動子ポケットブック」なんて、ないかなあ、あちらこちら覗いてみましたが発見に至らず。
緩やかにカーブしている靖国通り、小川町に近づく頃道路の真ん中に見覚えのある景色が忽然と現れます。
こんなところで見られると思わなかったスカイツリーです。
現在497m、まもなく第2展望台が姿を現す頃です。
そんな本屋さんが途切れる頃、有名な刃物のお店「菊一文字」の前へ。この店は京都が本店。その係累の店は全国にあるようです。
道路の向かい側には宮沢賢治も商売に行ったと云われる水晶振動子で有名な「金石舎」の発祥の地、新しいビルに変わってしまいました。
淡路町の交差点から交通博物館があった通りへ曲がります。
交通博物館の建物はなくなり工事が始まっています。
隣の、ラジオガーデンはラジオの部品屋さんはなくなり寂しい限り。
「肉の万世」の売店が出ています。
ここのカツサンドはお気に入りですが今日はパス。
ところで、「肉の万世」も昔はラジオや電気の部品屋さんだったらしい。
中央通りに出て左折、上野方面に向かいます。
秋葉原の中心地。
今日は買い物の予定はなく、と云いながら秋月で安い電池を買います。
平日の秋葉原は人通りもちょうど良く歩きやすい。
しかし特価品は少ないかなあ。
やはり、秋葉原での買い物は土日の昼頃までが狙い目かも知れません。
DOS/V通り・中央通りの西側の通りをこう云うらしい・何を買うでもなくあちこち覗き末広町へ。
ここから地下鉄に乗って帰途へ。
今日の散歩はこれでお終い。程よい運動でした。


2010年10月26日火曜日

トルコの露店



先日、アジアの西の端・ヨーロッパとの接点と云われるトルコへ行ってきました。
トルコと云えばイスラム社会、ローマ帝国とオスマントルコ時代の遺跡が残る国のイメージがとても強くまさに国中どこを掘っても遺跡に当ってしまうと云うのが本当のようです。
そのため大都市では地下鉄を作れない。そんなイメージを持ちながら出掛けた観光旅行です。
町には一日5回イスラムのお祈りが響き渡ります。もちろんキリスト教の人も居ます。
イスラム圏では自由な国です。
旧市街はどこの町も迷路のような路地に沢山の店が並び人があふれ客引きの声が飛び交っています。
いろんな店があって観光客には目が休む暇はありません。
遺跡の話や一般のお店の話は沢山のガイドブックなどに書かれnet上にも読み切れないほど有ります。

興味を引いた露店の靴磨き屋さん。日本でもわずかに残っていますがトルコには沢山あります。
金ピカの靴磨きセットを道路の隅に置いて磨いています。2リラ(約120円)前後ですが絨毯の上に広げた豪華な磨き屋さんもあります。
長いシャモジを振り回しながらコーンに詰めてくれるアイスクリーム屋さんは愉快です。
車の窓を拭いてくれる窓ふき屋さん・これは車が信号で止ると勝手に拭きだすのか何時ももめてるようです。
ヘルスメータを路上において測る体重計屋?さんは1リラくらい。
こんな商売もあるかと思ったのは、月の綺麗な夜、望遠鏡を置いてお月様を見るの、これも1リラ。
旧市街のお店は値段はマチマチ、偽物も平気、何やらの箱入りセット安いと思ったら半分しか入ってない。もちろん箱はチョットだけしか開けない。観光客はカモ・危ない危ない!!
何でも商売にするしたたかさを垣間見ました。
広さは日本の2.3倍位、大きな国です。
整備された幹線道路は制限速度90km。所により70,30。
イスタンブールやイズミールには路面電車も有りますが地下鉄はイスタンブール?に一ヶ所だけと聞きました。遺跡が多くその保護のため地下を掘れないのがその理由とか。


2010年10月5日火曜日

ドイツからのお土産


< 先日、ドイツのHAM仲間・DF2CWご夫妻と山中湖でeyeball-QSOすることが出来ました。
私のテスタ収集を覚えていてテスタのお土産をいただきました。
テスタのような単純・基本的な測定器でもお国柄でその構成が随分違うものです。
私のMUSEUM
<http://park15.wakwak.com/~ja1cvf/cvf-museum/museum.html>にもわずかですが海外の製品があります。
おみゃげのテスタはコンパクトなプラグ差し替え式のものです。
写真の下手な私・黒いものは特に苦手です。細部が見にくくて済みません。
パネルの上部にレンジ切り替えのプラグがあります。メータの下側にテストリード接続用の端子が出ています。
サイズ 90X110X35 単3電池使用、SIMETO製 最大レンジ 50V DC/AC 2500mA 1kΩ
このようなプラグ差し替え式の場合日本製はテストリードその物を所定の位置に差し替えるものがほとんどです。
ドイツのテスタは私にとって貴重なコレクションです。ありがとうございました。
詳細をチェックしてMUSEUMに展示します。
tnx DF2CW !

2010年9月24日金曜日

落雷

今年はあまり酷い雷害がなかったと思っていた矢先、千葉の方で大きな落雷事故がありました。
我が家では数年前、激しい雷さまに恐れをなし雷対策を始めたのですが、実はほとんど中断状態で進んでいません。
その理由は電線の高騰でした。
1m当たり数十円で買えた電線が急激に値上がりし100円の単位を超えたのです。
何百mも使う訳ではないのに何となく機先をそがれ中断した感じです。
大きな被害を受けないうちに完成させなければ!!

今年は雷さまの怒りに触れ何回か停電したのです。
そしてPCが動かなくなったのです。これは結局1日掛かりのOSのインストールし直しになりました。
災害は忘れた頃に・・・
改めてこの教訓を思い起こしております。

2010年9月11日土曜日

奥津軽駅???



「奥津軽駅」そんな駅有るの? はい、今はありません。2015年頃には出来るようです。仮称と云うことなので名称は変わるかも知れません。
実は先日、東北地方へ出掛けました。主に青森県を車で走りました。
ここまで来たら竜飛崎へ・・・
前に訪ねてから10年ほど、道も良くなり快適なドライブです。
そろそろ津軽半島の先端、三厩村です。道の駅「今別」の看板が見えたのでチョット一休み。
道の駅は国道に面しているかと思いましたら側道に入り5~600mほど離れていました。
道の駅のすぐ脇に津軽線「津軽二股駅」の看板が。
線路は単線で路盤には草が生えホントに列車が来るのかなあ!!
気が付けば、踏切の向こうにもなにやら駅の様子。
踏切をわたって階段を上ってそこには複線の立派な線路が有ります。なんと津軽海峡線「津軽今別駅」です。この線路に新幹線が来るのだ!
この津軽今別駅に行くためには車かバスで「道の駅・今別」に行って「津軽二股駅」の踏切を渡らないと行けません。
私の目には「道の駅・今別」が駅舎で一つの駅にしか見えません。ちなみにふたつの駅はどちらも無人駅です。
そしてこの駅には2015年には新幹線が停まる「奥津軽駅」(仮称)ができるらしい。
一つの駅に4つの名前が付きそうなのです。これを楽しいと思うのは私だけか?
道の駅・国交省(第3セクタ)、津軽二股駅・JR東日本、津軽今別・JR北海道、奥津軽駅・JR東日本、
と云うことらしい。
テッちゃんならずとも不思議な駅に偶然ながら立ち寄ってしまいました。
津軽今別駅の待合室にある電話はJR専用電話で公衆電話は津軽二股駅にあると書いてありました。
だんだん判らなくなってきました。地元の人はこの四つの駅名を上手に使い分け出来るのでしょうか。

こんなコトは驚くに足りないことなのでしょう。私の家の近くにも「南越谷駅・JR」と「新越谷駅・東武線」クロスして上と下に重なっているのですが駅名は違います。

2010年8月23日月曜日

HAMフェア

今年もHAMフェアは何事もなかったように終りました。
11時会場に到着。スネークラインのバーが外されまっすぐチケット売り場へ向かい待たずに入場。
今年は混雑がない。
どのブースもいつものように動いています。
大きなブースを確保したのが総務省。電子申請のPRです。広さの割にお客が少ない。
ICOM、KENWOOD、が新製品を発表秋には販売されるらしい。
このような業者のブースは約25。相変らずと云うよりいくらか減ったのではないか。
やはり業者というかメーカというか大きなブースが少ないと活気が無く寂しいのはどうにもなりません。
残りはクラブやグループのブースでそれなりの賑わいです。
クラブの活動、研究の発表は年に一度の対外PRの場所として、仲間同士の出会いの場でもありHAMフェア最大の目的地かも知れません。
それと並び賑わっているように見えるクラブのジャンク市はお宝も少なく本当のゴミの市になってきたようです。
無線機材もジャンクを使わずとも揃えることが可能になったのでしょう。しかしもう少し丁寧に見ていくと使える部品が少なくなっているようにも見えます。
アマチュア無線の環境は良くないし上昇の機運も見えない。
自作電子工作は難しくなっているように思えます。
秋葉原の部品屋さんも元気がありません。とても気になります。
来年も行きますよ!!

2010年8月12日木曜日

新餘部鉄橋

無くなる前に見ておきたいと餘部鉄橋を見に行ったのは昨年の11月。
そのすぐ隣りで工事をしていた新餘部鉄橋が出来たと新聞に写真が出ていました。
今度は鉄筋コンクリートなので”鉄橋”と呼ぶのは変だが、新聞の表記はどうなっていたか見落してしまいました。
冬の季節風で列車が転落して大事故を起こした。それがきっかけで新餘部鉄橋が出来たのです。強風の対策もされたというのですが素人目にはよく判りません。
路盤の下から吹き上げる風が悪さをするのだろうか。新餘部鉄橋は線路の下が塞がれていたと記憶しています。強風で列車が転覆する事故は数えてみると結構あります。
地下鉄東西線、山形の事故、等が思い出されます。
その対策と云うことで地元は喜んでいます。
しかし、歴史に残る建築物が無くなるのは寂しい。
すぐ壊して造り直す日本の建築・・・木造の建築が身に浸みているためでしょうか。
伊勢神宮に見られる20年毎の式年遷宮も一つの日本文化なのだ。
伊勢神宮だけの行事かと思ったらソウではない。各地でその習慣があるらしい。
何百年も使い続ける文化と20年毎に新築する文化。不思議なモノです。

2010年8月9日月曜日

東京が終点

いささか旧聞になりますがリニア新幹線が品川始発になるらしい。
手狭な東京癖の機能が移るかも知れません。
いずれ延伸すると思えばそれでも良いでしょう。
しかし何故、現行の新幹線は東京が終点なのでしょう。このことは何回も云ってます。何回も云えば誰かの目に留まってなるほどと思ってくれる人が出るのを期待してるのです。

東海道新幹線は山陽、九州新幹線と直通運転してます。博多から東京まで乗り換え無しです。北海道新幹線が出来れば当然のように東北新幹線と直通運転が考えられています。
これは極端な例ですが京都から広島へ行ったり神戸から名古屋へ行ったり、もし直通運転でなく大阪乗換えだったら結構不便です。
直通運転されてない大宮から静岡とか名古屋から宇都宮へ行くのは不便です。
計画当初は東海道と東北新幹線は直通運転を想定していたのですが民営化と共にJR東海と東日本のケンカが激化して東京駅でにらみ合っているのです。
電力周波数の問題や、需要問題をその理由に挙げる人も多いですが技術的には問題なし、強いて云えば用地が狭い、需要問題を提起する人は青森から博多まで乗る人は居ないとか岡山から仙台なら飛行機だ等ピント外れなことを言い出します。
接続点付近の利便性を大きく阻害しているのです。
JR東海と東日本のケンカをどう収めるかそれが直通運転のカギだと思います。

同じようなことが成田と羽田で起きています。
羽田の国際化で不便な成田がカッカカッカと怒っています。
誰が考えても羽田が便利です。
それは成田が終点で不便だからです。
国内線の少ない成田で降りると国内の地方都市へ行くのが不便なのです。つまりハブ空港として機能していないのです。
終点ではなく乗り継ぎ空港でなければならないのですが便数の少ない国内線と東京までしか行けないローカル電車しかないのです。
羽田は国内線が多く出ていますが鉄道は同様ローカル線しかありません。
鳴り物入りで建設した関空も同様どれも中途半端なのです。
「国内線乗り継ぎなら仁川(韓国)の方が便利」と云われるのは当然。
成田羽田を一つの空港として30分以内で走るシャトル電車で自由に行き来が出来る。国内地方都市へ羽田でも成田でも好きな便を利用する。途中の東京で降りれば新幹線で各地方都市へ。
この位のことが出来なければ「ハブ空港」にはなれない。

これは貨物の世界、横浜港や東京港でも同じような国際ハブ港化が進んでいるらしい。横浜や東京がそのことでも後れを取っているらしい。貨物扱い量がドンドン減ってるらしいです。

私利私欲に走る役人と将来展望のない詐欺師同然の政治家が日本を沈没させる。その日がすぐそこまで来てるような気がします。
日本の未来を私利私欲を排除し総合的に考えられる偉人は現れないだろうか。
私自身じゃあどうすると云われれば困ってしまう。

2010年7月23日金曜日

副都心のエコー

先日お話ししたXバンドMPレーダを見ていて気が付いたのが副都心(新宿の西側)何時もエコーがあることです。
夜には消えると思っていましたら、この所の猛暑が始まってからは一日中現れます。
0.1~1ミリ以下の降雨を示すモノですがもちろん降ってません。(近くを通って確認)
このエコーは六本木、丸の内、方面にも広がり始めています。
よく考えるとこの地域には超高層ビルがあります。練馬、目黒にも時々エコーが出ます。
目黒は地形的に周辺地区より盛り上がっている。
*エコーとの位置関係は見づらい部分もありズレがあるかも知れません。
このエコーがヒートアイランドと関係があるのでしょうか。
急に5GHz(Cバンド)と10GHz(Xバンド)を始めたくなりました。
免許は持っているのですが机の上でテストしただけ。QSOはしたことがありません。
始めたいと云ってもそう簡単ではありません。しばらくこのレーダ画像を楽しむことにします。
レーダ画像には100ミリを超すエコーが時々見えるのにはビックリです。

2010年7月20日火曜日

暑い

この所暑い日が続いています。
12時頃都内から埼玉へ向け走行。車の外気温度計は34度くらいから気持ちいいくらい上がります。練馬付近から大泉学園、川口、とついに38度を示しました。
アメダスなどのデータは計測環境の良さ?を反映し道路上よりは若干低めです。
今日は夕立が欲しいですね。でもそんな様子は見られません。
また明日も暑いのか!

夕立を期待していたらこんなサイトを見つけました。
XバンドMPレーダ雨量情報 http://www.river.go.jp/xbandradar/
局所的な降雨を観測出来るシステムですが7月から稼働し試験運用中です。これを見ていると雨雲の移動や発達の様子を1分ごとのリアルタイム画像で見られます。
しかしまだ使い方がよく判りません。今(19:15)青梅市と入間市の間に20mm程度の雨が降っています。これが発達傾向か移動方向はどちらか、どうやら発達中で南東に移動しているように見えるのですが時間軸を動かす方法が判りません。(時間軸を動かせば変化の傾向が判りやすい)
うまく使えればすごく役に立ちそう。
東大和市付近、埼玉県の川島町付近にも雨雲が現れ50mmくらいの雨が降り出したようです。
19;32 東大和は収束に向かってるようですが桶川にも雨雲が発生したようです。
*素人のレーダ画像判断です。間違いがある可能性大です。他の情報と併せて確認して下さい。

どうやら涼を得る雨ではなく所により豪雨が心配です。(実際はどうなってるかそれも心配です)

2010年7月10日土曜日

キンギョ

飼っていたキンギョが死んでしまいました。
この所気温が高めで温度変化も激しい。
気にはなっていたのですが当然のように水温も高く28℃を超えていたかも知れません。
そろそろ冷房を入れようかと思っていた矢先、一番かわいらしかった10センチ以上有るリュウキンが死んでしまいました。
我が家に来てもう5年ほどになるのですが前日まで元気だったのが突然に死んでしまいました。
ちょうど5年前水温の上昇で全滅させた苦い経験があったにもかかわらず・・・
この時に作った冷房装置は数年前ファンを交換しましたが快調に作動しています。
キンギョ以外にドジョウやモロコも同居していますがすべて高齢者になってきたようです。
時々このような突然死が起きます。
老衰なんでしょうか?
それはともかく、もう少し管理に気を付けなければ!!

2010年6月18日金曜日

ツバメとカッコウ、そしてヒバリとタニシ。

昨日、ツバメとカラスが空中戦をやっていました。
何だか騒々しいので外へ出てみたら隣家のツバメの巣がカラスにおそわれそれを守ろうとするツバメとカラスのバトルでした。
結果は当然のようにカラスの勝ち!
残念ですが大きなカラスには勝てないようです。
これは毎年のように起きること。ツバメも軒の裏側でカラスが入りにくい所を選んでいるようですが今年もダメでした。

ところで気が付けばもうそろそろ7月。
我が家に毎年来ていたカッコウはとうとう来ませんでした。
5月から6月に掛けて毎朝私を起こしてくれるカッコウ、とうとう来なかったのです。
じつはこれもこれもカラスが災いしてるのです。
昨年、一昨年、とカラスに追いかけられついに別の地に行ってしまったようです。
カッコウはアンテナのテッペンで鳴いていたのですが来年も来ないでしょう。
ヒバリが良く来ていた草むらには新しい建物が出来、それを知らずに来たヒバリは1週間ほど飛び回ってましたが新天地を求めて何処かへ行ってしまいました。

林や草むらや畑が少なくなって行くそんな中でわずかに残っている田んぼ。
今日、近くを通ったらザリガニが沢山死んでいました。タニシは殆ど居ません。
農薬散布をしたのでしょうか?
タニシは金魚の水槽のお掃除をしてくれるので時々田んぼで捕ってきます。
凄く助かるのです。
実はこの水槽のタニシもかわいそうな運命なのです。
水槽の温度は25℃位ありますからタニシはすぐに子供を生みます(胎生です)。
ところが1~2mmくらいの子供のタニシを生まれるソバから金魚が食べてしまうのです。
何匹かは逃げ延びて大きくなりますがほとんど食べられてしまいます。

自然界の食物を中心にしたサイクル、仕方がないことなのでしょうか。
カラスを悪者にしてはいけないのでしょう。
もっと悪いのは人間ですね。

2010年6月12日土曜日

ハヤブサとイカロスと高電圧発生器

高電圧発生器は今実験中の写真のようなモノですがなかなか判らないことが多く必ずしも順調ではありません。
高電圧の発生そのものは圧電セラミックスを利用したモノで電源を繋いだらそれで完成。
それを使って放電現象について考察してるのですが!
放電現象についてコロナ放電とか火花放電、アーク放電、等々その現象の違いや言葉の理解にもただ無駄な時間が過ぎていくような気がしてます。
一つ気が付いたこと放電(多分コロナ放電)している電極間に小さな紙切れや等を入れると片方の電極にその紙切れが吸い寄せられます。
(-)から(+)へ・電子は(-)から(+)へ移動してることを再確認!
昔学校で習ったような気もしますがもう忘れてます。それでも「これが電子の流れだ」と勝手に実感しています。

閑話休題
宇宙船「はやぶさ」が明日小惑星イトカワの岩石(ちり・塵)をもって地球に帰ってくるのです。
この宇宙船の動力がイオンエンジン・と云うことは私がいじってる高圧発生器の放電電極の間で起きている電子流による力と同じです。「こんなもので宇宙船が飛ぶ訳がない」と云われたのですが見事10年ほど?7~8年か?宇宙の旅を終えて帰ってくるのです。
そして、もう一つ宇宙ヨットと云われるイカロスがその帆を広げることに成功したと云うnewsがTVで放送されてました。これも大陽の巨大な核融合炉から放射される電子流を帆で受けて推力にする宇宙船なのです。これもイオンエンジンと原理は同じ!

こんなコトを考えてると私の高電圧実験もバカにしたモノではない。最新の宇宙開発に興味がわいてきました。勝手にイオンエンジンに関わっているような!(チョット遅いですが)
*高電圧実験は始めに書いたように判らないことが多く解釈が間違ってるかも知れません。また命に関わる感電の危険がありますので不用意に取り扱わないように願います>

2010年6月2日水曜日

高電圧発生器



rop-earさんこんにちは!
写真を載せようと思ったらコメント欄では出来ないような?
新しいスレッドにしました。
こんな構造です。後の黒いユニットが圧電式高圧電源です。
マイナスイオン発生器の電源?
品番はhbl-5050でhbl-5010に近いと思われます。
まだ仮配線ですがフイルムケース内の電極とアース電極の間に高圧が掛かります。赤電極(-?)には直列にネオン管が入っています。
放電が始まるとネオン管が点灯します。フイルムケース側面(電極先端)には穴があいていてアース電極と対向しています。
放電電流は最大5μA程度で保護回路が働き出力が停止します。
放電状態はネオン管と電源電流変化(放電開始→電流低下)で監視します。アース電極を40mm以上話してもネオン管がわずかに光っています。(これが気になるのです・それほどの高電圧は出ない?)
側面の穴をビニールテープで塞ぐと消灯します。
出力回路(赤線・高圧対応)にアース線を近づけても回路電流に変化がないのでリークはないと思うのですが。
初期のもくろみ
電圧測定が困難なので放電ギャップの距離で電圧を推定する。
電源電圧は10~15Vを使用、電流は60~70mA。定格を超えるが短時間では問題ないと思われる。
試料(高耐圧コンデンサ)を放電ギャップに並列接続し試料の耐圧を比較推定する。
高圧電源は電圧が不安定なのでいずれも推定の領域を抜けられない。

と云う訳でチョット足踏みしています。

2010年5月30日日曜日

高電圧は甘くない!

バラックで実験したときうまく行ったような気がした電圧と放電ギャップの関係。
充分大きくとったギャップを通して放電が起きるようです。ネオン管が光ります。
40mmもはなれているのに放電を示すネオン管が光っているのです。
電圧は5kV程(カタログデータ)なのですが!
5kVなら放電ギャップは5mm程度だと思うのですが。(これはただ経験による感覚的なもの)
どうやら空間放電だけではなく縁面放電も発生しているようです。
電流が少ないためか放電の光はまったく見えません。
どうやら放電ギャップの構造的な問題があるようです。
よく解らなくなっています。

2010年5月25日火曜日

高電圧発生器

バリコンの耐圧を測るために5kV~8kVの高電圧発生装置が欲しくなりました。
とは云っても怖さがつきまといますのでなるべく容量が小さく簡単なものを考えてみました。もちろんトランスでACを昇圧してなんて云うことはしないことにします。
最初に考えたのは使い捨てカメラのストロボ回路の改造です。コンバータで発生した数百Vの電圧をダイオードとコンデンサを使って積み上げていく。電力的にも良さそうな気がします。
その他に何かよい方法はないかとnetを検索していたらマイナスイオン発生器と云うものが引っかかりました。
マイナスイオンと云う言葉はチョット気になりますがこれには触れないことにします。
このマイナスイオン発生器についている高圧発生回路が使えそうな気がしました。
圧電トランスなるもので12vから一気に5kvくらいの電圧が出るらしい。
圧電トランスというのもよく解らないのですが500円ほどでジャンク品が手に入りました。
電源を繋ぎ高圧側の線をグランドに対し5mmくらいのギャップで放電が確認できます。
もっと近づけると保護回路が働き放電が停止します。
さて目的のバリコン耐圧試験に使えるか?
出力電圧は何Vか?
テスタ用の高圧プローブで測れるか・・・どうもうまく行きません。
類似品のデータでは数マイクロAで保護回路が働くらしい。プローブのインピーダンスから考えると保護回路が働いてしまうようです。
静電電圧計なんてあるはずもない。何かよい方法はないものか???
放電開始のギャップを測定しカタログデータと比較するしかない。
とは云ってもジャンク品の悲しさデータすら手に入らない。類似品は12v入力で5.5kV無負荷(10GΩ)とある。1000MΩのプローブでは測れないのも当然。
アマチュア的にギャップの距離で電圧を推定しよう。
電源電圧を変えると出力電圧も変わるようです。
8v~15vくらいまでが動作範囲のようです。類似品のカタログ値は12v±10%。
8kvくらいまで出力を上げられれば良いのですが。怖さ知らずのアマチュアの実験、電源電圧をもう少し上げてみよう。
目的が耐圧試験なので絶縁が保たれなくなったときの電圧を知るにはどうしよう。
数マイクロしか電流は流れないので直列にネオン管を入れてみた。どうやら放電開始が解った。しかし、よく見るとその光は部屋を暗くしないとよく解りません。
同じ電圧で何回かやってみるととても放電開始電圧を知るレベルではありません。
放電開始に気がつかずギャップを狭くしすぎると保護回路が働き動作停止をします。
12vの電源を見ていたらギャップを狭くしていくと電流が低下する。ネオン管は光って無いようだが。部屋を暗くしたらほんのわずか光っている。
これだ! 電源側(12v)の電流を監視すれば放電開始が解る。
どうやら先が見えてきました。
電源電圧と放電開始電極間隙の関係をグラフすることができれば電源電圧と出力電圧の関係が解るはず!
12V定格のところに18Vも掛けて圧電トランスが壊れないことを祈るのみ!!
感電しないように気をつけよう。

2010年5月13日木曜日

プラ二メータ・planimeter

プラニメータなるものを友人から貰いました。
これは地図などの図形をなぞるだけでその面積を求めることができるものです。
実はこのようなものの存在は知っていましたが手にするのは初めてです。
この写真はケースに入ったままで実際に使う形になっていませんので解りにくいと思いますが実際にやってみますとおもしろいものでちゃんと面積を計算してくれます。
これはアナログ式ですが最近はデジタル表示の物が多い用です。
プラニメータというものは測量関係の方にはなじみ深いものと思いますが一般には珍しいもののようです。
見たことが無かったのは私だけかもしれませんが近々に付属品の点検を兼ねて動作試験をしてみたいと思います。その時詳細の写真をおめにかけましょう。
ちょっといじった感じでは何だか面白そう。

2010年5月4日火曜日

ubuntu 2

ubuntuは快調です。
OSとセットになっているブラウザ、オープンoffice、グラフィックソフト、メイラー、当座必要な物はすべて入ってると云って良いでしょう。
ただし使い勝手は馴れないせいもあって相変らず試行錯誤です。
ブラウザはどうやら使えそう。しかし、ブックマークの設定は順調とは行きません。
メイラーは混乱の可能性があるのでしばらくは何もせず使える?Gmailにしておきます。
グラフィックツールは機能満載、色々できすぎます。もっと簡単なモノで良いのですが。
オープンofficeはMSofficeと完全互換でない所がキツイです。特にexcelの表サイズが違ってしまうのはショック。
自分の世界だけで使ってるなら問題ないと云うより充分でしょう。
しかし世の中ビルゲイツ氏の旋風が舞っておりそれから逃れるのは難しいようです。
netで申請したり買い物したり、当然のようにIEでは問題なく可能ですがGogleChromeではたまに引っかかります。私の設定が悪いのか不具合なのか。
そしてubuntuのFireFoxではうまく行くのか心配です。当分のあいだはnetサーフィン用に使って馴染んでいきたいと思ってます。
今は身軽なubuntuですがあれもこれもとアプリケーションを入れていくとおもくなるのでしょか!
ubuntuのCDを片手にドン!と背中を押してくれた友人tktさん、cxbさん、お陰様で一歩を踏み出すことが出来ました。ありがとうございます。

2010年5月2日日曜日

ubuntu

先日、net仲間のTKTさんからlinuxOSのUbuntuのcd(dvd)をもらいました。そのままになっていたのですがやっと腰を上げインストールしてみました。
実は、CXBさんが始めて楽しんでるのを見て、「私も…」と始めた次第です。
誰かやってるとき一緒に入ると解らないどおし(失礼!CXBさんは達人です)教え合って(私はおんぶに抱っこ)先に進のが楽です。
今回もそれを願って!!!

シャキシャキと動くのですがwindowsとは趣きが違います。慣れないせいかとまどうことしきり。
それでも何とか使えそうな感じがします。
windowsのような親切さ・おせっかいさは無く自分で考えないと出来ない部分も多くプラグインソフトのインストールもままなりません。
上手く使えるようになるかバンザイしてしまうか・・・
pcオンチの私としてはきつい試練かもしれません。

2010年4月17日土曜日

雪だ!

夜中に目が覚めたら雪が降っている。 3センチ程も。
朝になってもまだ降っている。
霙模様にはなったけど。
ミゾレとはこういう字なんだ。あまり使わないし結構難しい。
今日は4月も半ば過ぎ17日です。これは新記録でしょうか?
東京では4月に雪が降ること自体それほど珍しくはありません。
しかし17日とは。
調べてみましたら昭和42年(1967)の4月17日に降っているのです。これはタイ記録です。
正確なことを云えば私がこの雪を確認したのは埼玉県東部のS町。東京の記録とごちゃ混ぜですが驚いても良いでしょう。
*44年の同日にも降ったらしい・埼玉でも降った・と云うことは41年ぶり。
今年は3月から4月にかけての日照時間がとても少ないです。
そこへ来てアイスランドの火山噴火で噴煙のため、ヨーロッパだけでなく日本でも航空機の欠航騒ぎまでしています。あと数日すれば噴煙による日照障害も起きるでしょう。
既に野菜が不足がちと聞いてます。
米などに影響しなければよいのですが。最近、米の不作が度々あるような気がします。
大インフレの予兆でなければ良いのですが。国債の乱発がさらに進みそう。

2010年4月14日水曜日

11年目

ホームページも11年目に入ったのですが気が付けば新ネタの書き込みもせず相変わらずのお休みモードです。
それでも人並みに桜を見に行ったり外出を心掛けています。
東京の桜と云えば千鳥ヶ淵・実はここの桜を見るのは初めてなんです。
見に行ってきました。とは云っても10日ほど前の話。
日曜日でもないのに桜より人の方が多いくらい。水面に浮かぶ花びらと光の織りなす模様はさすが名所と云われるだけの価値があります。
上を見上げれば桜のあいまに東京タワーが。チョット寂しげに見えたのは私だけでしょうか。
お役後免になってしまう東京タワー、無くなる訳では無いにしてもなんだか寂しい。
そうだ、東京タワーへ行ってみよう。

2010年2月23日火曜日

秋葉原

しばらくご無沙汰していた秋葉原詣でをして来ました。しばらくと云っても一月ほど行かなかっただけですがチョット様子が変わったかなという感じです。
私の行く所とはパーツ屋さんジャンク屋さん等で歩くコースが一般的ではないかも知れません。
日曜日でも何となく人通りが少ないかな?歩く時間帯が早いのかも知れません。
消滅状態のラジオガーデンだけでなくラジオセンタ、ラジオデパートのシャッターが目立ちます。
店も新陳代謝が進んでいるようです。見慣れたオジサンが居なくなり若い人(と云ってもオジサンか)に代わっています。
パーツ屋さんで賑やかなのはラジオデパートの裏側、千石は元気が良い、秋月は相変らず、マルツも商品が判りやすい。
ドトールでサービス券配っていたのでチョット一休み!禁煙席が出来て?まえからあったか?具合良い。
この通り秋月の向かい側が地上げで店が無くなってしまいました。リーマンショックの影響か中断したまま相変らず駐車場になっています。
通りを渡ってDOSV通りへ。PCパーツや雑貨品のジャンク屋が並んでいますが買いたいモノはほとんどありません。怪しげな安物が並んでいます。ガイジンが多い(店員が)・それも面白いのかも知れない。
久々にHAMショップも覗いてみました。ロケットにはMLA(マグネティックループアンテナ)が展示してある。MLA人気の高まりを感じる。しかし客数は相変らず少ない。
それで思い出しました。JARLの終身会員もいよいよサービスが限定される。
私の場合あまり影響は無さそうですが。

2010年2月18日木曜日

2分配器 デジタル対応品

TVアンテナからの信号を2台のTVに分配するための器具です。
上のコネクタから入った信号を小さなフェライトコアを使ったトランスを介し下側のコネクタへ分配するモノです。
販売店によって多少の違いがありますが私の購入価格は¥290でした。
国産のメーカ品に比べ破格です。
何故コレを開封したか?実はコレと同じメーカの製品で4分配器というのがありそれがnet上で取りざたされているので確認の意味も含めて開封してみました。
造りは粗雑ですが5~2450MHz、ALL PORTS POWER PASS と書かれています。使用感も特に問題有りません。
ホッと胸をなで下ろしました。

件の4分配器は、秋葉原でおおむね¥320で売られているようです。これまた驚くべき値段です。
国産のメーカ品は10倍ほどの値段です。
この4分配器にはトランスはおろか配線のための基板などの電子回路はなく単に各コネクタ間をハリガネで繋いである。
ハリガネと云う表現はその4分配器の写真を掲出しているサイトでリード線、電線を強調するため用いた言葉と理解し私も使ってみました。驚くべき製品です。
その写真を転用する訳にもいかず、netサーフィンをして探して下さい。
実は4分配だけでなく8分配も存在しました。
コレで苦情はないのでしょうか?不思議です。
アナログTVにおいては分配器の整合が悪いと反射などが発生し即画像の劣化に繋がる訳ですがデジタルTVでは信号レベルが一定以上有れば反射などの影響は軽減することが出来ます。そのためにゴーストなども無くなり綺麗な画像を見られる訳です。
なるほど!!
デジタル技術の成果である画質改善機能が粗悪分配器を使用可能にしたのでしょう。
喜んで良いのか憂うべきか悩ましいことです。
TVセットでアンテナ電源供給をする場合他の機器に与える影響考えないと大きなトラブルを招くかも知れません。悪徳アンテナ工事業者も有ると聞きます。そんな業者がコレを使い始めたら・・・心配です。

2010年2月9日火曜日

おたふく鎚?の修理とヤスリ


ぼろ市で買った金鎚、やはり普通のマメ鎚と思うのが自然でしょう。
名前にこだわることはないのですが使えるようにしておかなければゴミ同然。
竹の柄がついていたのだが何となく不自然。手持ちの柄で仕立ててみました。
先曲がりの癖がある柄・結構良い感じに成りました。

閑話休題
netサーフィンをやってましたら、面白いサイトに行き着きました。
彫金、鍛金、フライス、旋盤、を楽しんでる。その中にヤスリでナイフを作る話が出ていました。ナイフだけではありません。ダメになった刃物で旋盤のバイトなども作っています。
やっぱり居た!同じような人が。
私も、折れたドリルやすり減ったヤスリ、折れた金ノコ、みんな捨てずに「何時か役に立つ」としまってあるのです。
その中に数年前Daytonへ行った時買ってきたジャンクのヤスリが有りました。半分位は前の持ち主が手を加えた物だ。一山5$ほどのゴミ同然の代物。
実は手を加えた、その小細工が気になって買ってきたのです。彫金などで使う微細加工用のヤスリです。
改めてどんな細工がされてるか見たのですがそのヤスリのほとんどがvallorbe。
知らずによいモノを買ってきた! 
これも現役復帰をさせねばかわいそう。

2010年2月7日日曜日

MLA(磁界ループアンテナ)研究会




久々にアマチュア無線家らしい研究会をしました。
最近は飲み会になることが多いHAM仲間の集まりですが今回は違います。
Hi-Qで小型高効率のアンテナをどのようにまとめて行くか基本構造、マッチングセクション、など部分毎の要素に分けて得意分野の研究成果を発表解説して賑わいました。
MLAをお使いの方でもあまり実験されてない同心円共振回路型、高耐圧バリコンなどの試作品が持ち寄られ説得力のある話が飛び交いました。
この結果都心で1.9メガも夢ではないと確信し次回にはさらに完成度を上げたアンテナにしたいと盛り上がりました。
その他マッチング状態を可視化する研究、linuxPCの使い勝手などの研究解説がありました。

HAMのミーティングが形骸する中、久々に熱い話が飛び交いました。
参加者のほとんどが半世紀にわたるアマチュア無線歴を持つOT'sで普段は一人で何でもこなしていますが、仲間の技量を再認識する価値ある研究会でした。
飲み会ではない目的を持った研究会を再度開催するべく、各人実験研究を約束し散会しました。
まだ頑張れる、と感じた一日でした。

2010年2月2日火曜日

ドイツの抵抗計


先日、ドイツの友人から珍しいモノを戴きました。
テスタなんですがその機能を抵抗測定のみに限定したモノです。ドイツ規格の大きな3V電池(手前は単3電池)で10MΩまでの抵抗を測定できます。最小メモリは1Ωです。
パネル面にはその使い方が書かれています。裏面には機能拡張の方法まで書かれています。
ドイツのテスタはcvfMUSEUMにも展示されてるモノがあります・それも詳細な使用法が本体に書かれています。
http://park15.wakwak.com/~smart/museum/tester/tester3/mtm-3/mtm-3.html これはドイツ人の気質なんでしょうか。面白いですね。
ところがメータが壊れてます。
何とか修復したいと中を見たのですが大きな衝撃を受けたのでしょうか肝心のコイル部分の損傷が激しくダイキャスト部品がバラバラになって壊れていました。
一見問題無さそうに見えたのですが触った途端崩れるようにバラバラになりました。
3Vで10MΩと云うことは回路電流100μAですから交換可能なレベルです。
また一つ楽しみが増えました。

2010年1月27日水曜日

トラ技

久々に『トラ技』を買いました。トラ技とはトランジスタ技術という雑誌で電子技術関係では結構知名度のある雑誌であります。
本屋さんでサブタイトルの『エコ時代の最新バッテリ活用技術』に惹かれて買ってみました。
私はバッテリをあまり信用していません。特にサイクル寿命について不信感があります。身近なカメラや携帯のバッテリも想像以上に早く寿命を迎えます。
どうしてでしょう。いそがしい時代を反映して急速充電が主流です。しかしこれは必ずしも得策ではなくバッテリには大きな負担であることは間違い有りません。
リチュウムイオン電池はエネルギ密度は高く素晴らしい電池と云われながらも何回となく発火事故を起こしています。電気自動車にはリチュウムイオン電池と云う言葉を聞きますが事故の時発火により被害を増大させるのではと危惧しておりました。
電池に対する要求が高く開発が追いつかない状況!
そう思いながらパラパラとページをめくりながら目にとまったのがSCiBと云われる電池のコラムです。
実は以前、燃えない電池が開発されたと云う話を耳にしていたのですが・・・
すっかり忘れてました。
それがいよいよ実用段階になってきたようです。参照→http://www.scib.jp/

閑話休題
身の回りの電池は種類が多くデジカメを買うたびに電池も買い換えなくてはならない。携帯も同様。
よく使う単3電池は度々液漏れを起こします。過去においては「液漏れで機器を損傷した時はそれを補償します」と云う広告もあった。
流石にそれは無くなりました。 と云うことは液漏れは無くなっていないのです。
主流であるアルカリ電池の液漏れは機器のダメージが大きい。
新型電池の開発の陰になって、こちらの開発は進まないのでしょうか?
それとも諦めたのでしょうか?

2010年1月20日水曜日

昔の食べ物 4

突然に4から始まるのは変に思うかも知れません。
実は私が時々見に行くサイトに『昔の食べ物』というコラムがあるのです。いや、有ったのです。
それが『3』で終わってしまったので、なんだ終わりか!と思いつつその続きが頭の中に現れたのです。

私と違って軽妙で洒脱なことばに乗って出てきたモノは『色が変わったご飯を洗って食べる』という。
なるほど、アレは食べてお腹が痛くなるモノではない、しかし美味しいモノではないのです。
チョット酸味があって寿司飯に近いのかも知れないけど、味は別格・不味いのです。
彼も、こんなモノ食べたことがあるんだ。以外に年が近いのかも知れないな。イヤ10歳は若そうだ。

正月が終わると、第一のご馳走だった餅もそろそろ飽きが来ます。私の家はどういう訳か正月には食べきれない程の餅をつきました。(ホントはついて貰った)
ご飯より長持ちはしますが黄色くなったり青くなったり赤くなったり、色とりどりで綺麗なモノです。イヤ気持ち悪いモノです。カビが生えてるのですから。
今なら捨ててしまうのでしょうが水で洗って束子で擦って水を張ったカメに入れます。
毎日水を取り替えるのですが何とも云えない匂いがします。それを味噌汁に入れたりして食べるのです。
たまには水に入れず日向に並べて乾燥させます。だんだんヒビ割れして細かくなってきます。これを油で揚げて塩を振って食べます。これは結構な味です。もちろん多少匂いは残ります。

最近は必要なだけ買えるパックに入った餅が多いのでカラフルな美しい餅には出会いませんがたまに揚げて食べます。
しかし、家内はよほどのことがないと食べません。無理に言っても・私嫌いなんだ、と云って避けてるのが判ります。キット昔の色鮮やかな餅を思い出してるに違い有りません。
今のは匂いもせず美味い。洗う手間も要りません。
『昔の食べ物5』は彼が書いてくれることを期待しよう!

2010年1月17日日曜日

おたふく



16日は世田谷ぼろ市の今期最終日(毎年12月、1月の15,16日)久々に友人と出かけました。
人通りはただ『凄い』のひとこと! ただただ押し流されていくような感じです。想像はしてましたが道具類は少なく立ち喰い食品や古着が目立っています。
友人が何気なく見つけたマメ鎚、銘もなく全体に腐蝕が激しいようでしたが何となく手を離れません。鎚の長さは35mm程、径は10mm程、のマメ鎚。鍛金で云う『おたふく(福鎚)』のようです。
これは私の思い込みでタダの『小さな鎚』と云うのが正解かも知れません。
まあいいっか!
よく見ると柄は竹で仕立てられています。ますます判らなくなったのですが『手の反動を生かして鎚目を付ける』のだろうか?
などと勝手な想像を巡らしついに買ってしまいました。

帰りにイッパイ!と云うことになり、新宿の『思い出横町』に出向きました。
40年ぶりの訪問?です。学生時代にはよく行ったのですが。
思い出横町と云えばご存じの方も多いかも知れません。西口のデパートの脇を折れ曲がり東口に抜ける小さなガード際の飲み屋街であります。
大型ビルがひしめく西口の路地を曲がると、今ではけっして建てることが出来ないであろうバラック街です。
10年程前になるだろうか火事になり殆どが焼け落ちたのですが、一部が焼け残りバラックが目立つのも不思議な世界です。
思い出横町とカッコ良い名前で呼ばれて居るのですが私には『ションベン横町』の方がわかりやすい。
http://www.shinjuku-omoide.com/(新宿西口商店街)
店に入る前にトイレを済ませておくのが良い!
トイレのない店が多い?昔は店内に無かった! 中央線の線路脇に共同トイレが並んでいる。もちろん非公認である。
今はそんなことはないと思いますが。
この横町では焼酎とゲイ(鯨)カツが似合う。
そんな気がするのは私だけでしょうか。
先日、誰かに今でもゲイカツがあると聞いて急に行きたくなったのです。
くじら料理専門店ではとんでもない値段ですがここは違います。
紙のように薄いゲイ肉をパン粉でカツに仕上げたトンカツの代用品なのです。薄いので程よい柔らかさだ。昔は『上』が有ったのですが、これは並に限ります。安いゲイ肉の厚いのは硬いのです。
ついうっかり!写真を撮るの忘れました。ガイジンが多いのにビックリ!!!

一杯きげんで小さなガードをくぐり東口へます。ウマの水飲み場『馬水槽』の前に出ました。
ところがこの馬水槽、今は何となく人の寄りつかない物陰のような感じのところに有るのです。
東口駅前、昔は大勢の人が待ち合わせする目印だったのです。
この場所にしばらく佇み昔を思い出しました。ここは私にとって鬼門の場所でした。
やっぱりこのコース『思いで横町』巡りでした。


2010年1月3日日曜日

浅草


元旦に浅草へ行ってきました。
浅草と云えば浅草寺・早めに行ったので意外にすいてるという感じでしたが次第に混雑して30分程後には人間も交通規制され自由に歩けない状況。
浅草寺からロックの方へ周り伝法院通りへ抜けました。
そして再び雷門へ。
そうだ浅草の新しい景色はスカイツリーだと吾妻橋からスカイツリーはどう見えるのか?
アサヒビールの横から遠慮がちにちょっと寂しい!橋を渡ってちょっと行けば真下まで行けるのとは思ったのですが今日はこの辺でと、東武線の浅草駅へ向かいました。
そこでまた未練がましくホームの先端から見えるはず!と先端まで行ってみたのですが以外に小さい。
業平橋のホームに覆い被さるような、あの巨大さは全く感じない。いま254m。あと380m、2011年には完成・3年半の工期である。
ちなみに東京タワーは工期11ヶ月28億円と云う。この工期には着工前の準備は計算されないので素人目にはもっと長く感じられます。
東京タワーへ行ってスカイツリーを観たらどんな風に見えるのだろう。そのうち行って観る価値充分にありそうです。