2019年2月17日日曜日

ジャンク屋が無くなった!

世界的にも有名だった秋葉原電気街のジャンク屋が無くなってしまいました。
久しぶりに秋葉原へ行きました。私の場合秋葉原へと云えば電気街へ行ったことになります。
秋葉原でもほかの所はあまり知りません。
旧交通博物館隣の日米無線電機が閉店し寂しくなったと思いましたが姉妹店の日米商事は営業中です。
頑張ってる日米商事!
私にとってジャンク屋は秋葉原そのものです。
アマチュア無線(HAM)を始めた頃秋葉原電気街は最盛期だったかも知れません。ラジオの部品、テレビの部品、を買い求める人で溢れていました。
しかしその中でHAM用の部品は特別でした。
普通の部品屋さんでは入手困難な部品が有って ジャンク(junk)屋 でなければ手に入らないモノが有りました。
ジャンク junk と云うのは文字通り、ゴミ、クズ、廃品の事です。当時は主に米軍のjunkでした。

ジャンクの水晶振動子
無線機の部品は市販品には無かったのです。
日本では戦後・昭和27年までアマチュア無線は免許されなかったのです。
私が秋葉原へ行くようになったのは30年頃からです。
ジャンク屋さんは沢山ありました。当時露店を禁止するためガード下に店舗が作られたのです。ラジオガーデン、ラジオストア、ラジオセンタなど。ラジオデパートはガード下ではありません。理由は??。ニュー秋葉原センタは後発です。その中にジャンク屋がひしめき合っていたのです。
昭和40年頃から変化が見られました。真空管から半導体の時代に成って国内の工場から放出されたジャンクが主流になりました。
都心の工場は地方に移転しさらに海外へ移転していきました。
当然ジャンク部品は激減です。
世の中も変化して無線遊びからオーディオ、コンピュータ、とシフトしていきました。
工場が少なくなったせいか子供たちのモノ造りも変わったようです。
組み立てキット全盛で自分で部品集めをして作ることが少なく成ったようです。
部品の使い方も、工夫、応用、が出来なくなったように思います。
ジャンク屋も、部品屋、キット屋、へと変化しています。今はキットをたくさん並べている秋月や千石もジャンク屋でしたが流れに乗って進化しています。
しかしその流れは電気街を押し流し歓楽街の様になっています。
あと10年も経ったら店頭で部品を売る店が無くなりそうです。
お店が無くなるだけではなくモノ造りも衰退してしまう。
寂しい限りです。